心の病の原因は何か
~根本原因と環境原因~
1.あなたの心のなかにある根本原因
物事には必ず原因があります。
今起きていることの全ては、その人のなかに原因があります。
病気になった原因も、その人のなかに間違いなくあるのです。
原因には、根本原因と環境原因があります。
根本原因とは、自分のなかにある原因です。
自分のなかの根本的な、根っこにある原因です。
怒りや恨みの心が、病気を誘発することは、古い東洋医学書でも述べられています。
「怒りは肝を破り、喜びは心を破り、思いは脾を破り、憂いは肺を破り、恐れは腎を破る。(『黄帝内経素問』陰陽応象大論篇 )」
人間がそのような行動をするのは、その人の思いや考え、感情というものからです。
その思いや考えや感情は、どこからくるのかということです。
どうして、それらを抱くことになるのでしょうか。
それは性格だと言われるでしょうか。
では、その性格はどうしてそのようになったのでしょうか。
根本原因とは、その人のなかにある記憶です。
それが分かると、手の打ち方が分かってきます。
遺伝子の記憶と、生まれてからの記憶です。
遺伝子には、両親や祖父母と同じような性格になる因子が既にあります。
両親ではなく祖父母以前の先祖と同じような性質が表れた場合、隔世遺伝とも言われます。
同じような嗜好、考え方、行動様式などは目に見えるものですが、目に見えていない要素も引き継いでいます。
目に見えていないものというのは、その条件が整わないと表れない因子のことです。
簡単に言うと、Aさんとはとても馬が合って良好な関係を築けるのに、Bさんとは、第一印象から悪くそりが合わないとします。
Aさん、Bさんに会ったから、そのような現象が表れたのですが、AさんやBさんに会わなくても、Aさんのようなタイプとはうまくいく、Bさんのようなタイプとは反発するという因が既にあるわけです。
それは、Aさん、Bさんの原因ではなく、その人の原因ということになります。
もうひとつは、生まれてからの記憶です。
生まれてから、今までの時間のなかで起こったことを、その人の解釈で捉えているものがあります。
その捉え方が、次の行動を左右し、それがまた記憶となって刻まれ、次にまたそれが作用し、ということを繰り返していきます。
これが根本原因となります。
根本原因には、両親との関係が大きな影響を与えています。
人間関係には縦の人間関係と横の人間関係というものがあります。
縦の人間関係というのは、命の繋がり、先祖から代々、両親を通じてきた命の繋がりの関係です。
これは遺伝子の関係でもあります。
人間は誰しも、先代から受け取った命のバトンを持って生きているわけです。
一方、横の人間関係というのは、肉体を持って生きる時間を共有していく関係です。
兄弟姉妹、友人、先生、同僚、上司、地域社会の人々などです。
横の人間関係のなかには、もちろん、両親も入ります。
人間の記憶は、これらの人間関係のなかで起こったことを捉えたものです。
ということは、縦の人間関係、横の人間関係、どちらにも関わっている両親というのは、その人間にとって、多大な影響を及ぼすということです。
縦の命と、横の時間に密接に絡んでいるのです。
幼少時の、父、母の言動、育てられ方は、その人間の根本原因に深く関わります。
体験してきたできごとで、このような性格になった、このような心になったというものがあります。
それが根本原因です。
この根本原因を探っていくと、思いもかけないものにたどりつくことがあります。
自分の性質はこうだ、考えはこうだとしたら、その原因になるものは何なのか、そしてそのまた原因になるものは何なのかと、それを繰り返して自分を掘り下げていきます。
今、病気になっているとしたら、病気になった原因は何かということを探ります。
そして、その原因のようになったのはなぜか、そしてまたその原因になったものは何かと、本人が自分でたどっていくのです。
そうすると、本人も思いもよらないことが出てくることがあります。
この思いもよらないところに、解決の糸口があります。
顕在意識では覚えていなくても、思わぬことが出てくるのです。
それを自分で探っていくと、両親が自分に対してこういう接し方をしたから、こういうことを言ったから、父親と母親がけんかをしていたからなどということが出てきて、そのことが元で、自分の心が出来上がっていることが分かってきます。
2.根本原因を探る
リウマチを持つ60代の女性が根本原因を探っていった時の例を紹介します。
「リウマチ」の原因を考えて出てきたのが、「自分が嫌い、人も嫌い。人と不調和の心を起こす」でした。では、なぜそうやって人が嫌いになったのか、自分が嫌いになったのかを、ゆっくりと思い出して、その原因を書いてみました。
そうすると、「子どもの頃にお父さんとお母さんの仲が悪かったからだ」と出てきました。
なぜ両親の夫婦仲が悪かったのかをずっと書いていくと、「父が事業に失敗して、もう一度事業を立て直したいという思いがあったのに、子どもが6人いたので、仕事を断念して子どもを取ったという父の無念さ、悲しさ、辛さ、それが悶々と常にあった。
母はそれに対してそのことを理解できず、不平不満の連続であり、常にその環境が私のなかに取り巻いていた……」ということにたどり着いていきました。
一見、父親の事業失敗が、本人のリウマチに繋がるとは思えないでしょうが、これは実に見事に繋がっているのです。
父親のやるべきことをやれない無念さと、母親の不平不満、それをそっくりその女性が引き受けて、それがその人のなかに眠っていたのです。
それが外界に表れて、なかなか人間関係がうまくいかなかったのです。
そしてまた、夫も愛せないという状況にあったのです。これは、親への恨みを夫にはらすようなものです。
潜在意識は主語がありませんから、親に対して何らかの恨みやわだかまりがあると、それが自分の伴侶に向きます。
夫婦関係のこじれは、ほとんどといっていいぐらい、そのように表れます。
その方は、掘り下げて出てきたものに驚いていました。
そして、「私の人生は不平不満の連続でした。人生はこんなものだと、人生を素晴らしいと思えない。だから、夢が持てなかったのです。私は自分で仕事しながら『夢は何ですか』と人に聞かれても、自分では人に同じことを聞くのに、自分ではなかなか言えなかったのです。だけど、これをずっとずっと書いていくと、『あ、だから私は夢が持てなかったんだわ』というところに行きつきました」
このようなことが分かり、その反対の部分を追究していくと、現象面がどんどん変化していきます。
仕事がうまく運ぶのと同時に、健康体になっていきます。
自分で掘り下げていくということは隠れていた心のポリープを発見して、明らかにしていくということです。
以前は隠れて眠っていたのですが、その姿を表に引きずり出してきたということです。
以前から、顕在意識では気づかないところで、例えば自分を責める気持ちが実は元々あったのに、見えなかったのです。
それを表に出してきたら、ターゲットがはっきり分かるわけです。ターゲットがはっきりしたら、それに手をつけていくということが分かります。
例えて言うなら、レーザー光線をがんに向かってピンポイントで当てるようなものです。
がん細胞が見えなければ、レーザー光線をどこに当ててよいか分かりません。
どちらかというと、これは心のがん細胞を見つけるようなものです。
そして、本人はそれをあまり見たくないというのが普通でしょう。
そういう自分を見たくないので、無意識に、そのまま放置しておくわけです。
しかし、見たくなくても、その性質は、様々な形として表れてくるのです。
イライラした気持ち、自信を持てない劣等感、夫への不満。
病気はそのひとつの表れにすぎないのです。
根本原因を掘り下げて、それを明らかにしていくのは、見えない心の部分を見える形にする意味でもとても効果的です。
3.環境原因に反応する根本原因
もうひとつ、原因には環境原因があります。
環境原因というのは、その人を取り巻く環境です。
環境原因と根本原因は、密接に絡み合っています。
その環境に巡り合った時に、自分のなかに眠っているもの、すなわち根本原因が引き出されます。
根本原因を探った次は、その環境があった時に、どう感じたか、どう行動したかということを見ていくわけです。
例えば、お姑さんの小言が多いという環境があったとして、この環境で、問題がある人と問題がない人がいます。
問題があるとしたら、そのお姑さんがきっかけで、自分のなかから出てくる感情や思いが原因なわけです。
反発心だとか、嫌悪感だとか、不信感かもしれません。
もしその人が病気だとしたら、その自分のなかから出てきたものが病気として表れているのです。
その自分のなかから出てくるものは、その環境だから表れたと言えます。
違う環境であったなら表れない可能性もあるのです。
根本として持っている性質や心は、その環境によって、出にくい場合もあるし、出やすい場合があるということです。
以前はそのようなことはなかったのに、環境が変わったら、マイナスと思われる、ネガティブな心がどんどん出てくることが実際にあります。
何かをきっかけに表面化してくる場合があるのです。
結婚する前は何もなかったのに、結婚してからは様々な問題が起きてくるという例も、非常に多いのです。
結婚してからの夫婦の関係は、自分の親の夫婦関係を見てきた根本原因が表れてくることがほとんどです。
言うなれば、内包している根本原因はタネです。
そのタネが花開くには、土や水や太陽の光などの環境が必要です。
その環境がなければタネから芽は出ないのです。
あるweb科学雑誌で、双生児の個人の形成に、遺伝と環境がどのように影響しているかという研究をしている行動心理学・教育心理学の研究者の記事が載っていました。
そのなかに、人の性格を形作る要素の半分は遺伝で決まり、半分は環境で決まるという研究結果がありました。
これは、その環境、体験によって、活性化する因子があるということを物語っています。
潜在意識にあるその記憶は、それが記憶となったその条件が揃った時に、同じように反応します。
これは、もう自動的です。
頭で考えられることではないのです。
自分のなかの根本原因は、環境がなければ発現しません。
更に、根本原因と環境原因が縁となって表れたものは、次の根本原因となります。
学校で友達に仲間外れにされていたという環境のなかで、その友達に恨みを持つと、その恨みが、今度は潜在意識に刻まれます。
そして、時間を経て、その恨みが自分では認識できない形となって表れてくる可能性があるのです。
本人の思っている形ではないので、本人も、なぜこのような結果になるのか、なぜこのような思いになるのか分からないわけです。
遠い昔の出来事は、自分ではもう消化してしまっていて、それが原因とは夢にも思っていないのに、本人も預かり知らない、自己嫌悪を感じたり、自己処罰をしたりすることにもなります。
そして、また、これが根本原因になっていく・・・・・・と、連鎖していきます。
このように、根本原因と環境原因が原因で、結果が表れます。
その結果は、次の根本原因になっていきます。
こうして積み重なっていった末に、病が待ち受けている可能性があるわけです。
心の病と言われるものは、全て、このメカニズムで解説することができます。
この仕組みを知っただけで、光明が見えるでしょう。
何に手をつけてよいのか分かってくるわけです。
4.内包しているものが変わらない限り、どこに行っても同じ
心の病で、幾度も同じような症状が現れるのは、根本原因を持っているからです。
その根因原因は、どこに行っても同じような症状として表れてきます。
病の元である根本原因は、例え、アメリカに行こうが北海道に行こうが、自分のなかにあることに変わりはありません。
根本原因は、環境原因によって表れやすい場合と、表れにくい場合があると述べました。しかし、根本原因は、外に表れていない場合でも、自分の内で内流しています。
意識をしていなくても、自分のなかでどんどん育っていると考えてよいでしょう。
環境原因が縁となって、病の症状などとして外に出てしまえばまだ対処できるものの、外に出てこないと、いつまでも内包したまま、ある時、より大きな現象となって表れる可能性があります。
また、内にあるその元は、性格や性質として同じような表れ方をしますから、どこに行っても、相手を変えて同じような人間関係を形成していきます。
人生で同じことを繰り返してしまうのも、こういった原理です。
人間のなかには、自分を認められたい、分かってほしい、愛してほしい、それで満たしたいという、とても強い欲求があります。
これは、人間の尊厳の欲求とも言えます。
その欲求が満たされないと、それを満たすための言動が表れ、現象に表れてきます。
子どもには、父、母の愛情を獲得したいという本能があり、そのために、病気になりたいという欲求が出てくることがあります。
病気になれば心配してくれるので、意識的に病気になりたいと思い、その願いが叶ってしまう場合があります。
音楽家の母親が、演奏のために出張ばかりしているので、母親の旅行用のトランクを子どもが隠してしまったという例があります。
これも、母親の愛がほしいためにとった行動です。
心の病と言われるものの原因には、親が影響していることが非常に多く見られます。
子どもが、親に「こうしなさい、ああしなさい」と言われると、親の言ったその額面通りのことをすることが、親のことを分かることだと思ってしまうことがあります。
しかし、それは、表面的なことを捉えているに過ぎません。
親はそんなことを言っているのではなく、ただただ、子を愛する気持ちから言っているのです。
親の言った言葉尻を捉えないで、その奥にある愛だけを捉えるのです。
どんな形であれ、認められている、愛されているという、そこを捉えられるようになると、愛の不足という現象は起こらないでしょう。
そうすると、親がどのようなことを言ったとしても、全く違うように捉えることができます。
「右に行きなさい、左に行きなさい」と言われて、「私は、どっちへ行ったらいいの?」と悩んでしまいますが、本当はそんなことを言っているのではないのです。
子どもが最も安全な道を示そうとしているのであって、右でも左でもどちらでもいいわけです。
親は、子どもが安全で幸せだったら、どんな状態でもよいのです。
でも、人はその言葉尻だとか、表面に見えるものに囚われてしまいます。
ですから、大半の人が、親にこういうことをされた、このようなことを言われた、となって、それが心のなかに残ってしまうわけです。
子を愛していない親はいないわけですから、そちらの愛をくみ取ればよいのです。
それが答えです。
心の病は、表面的なものを捉えてきた結果、症状になって表れてきたということが言えます。
長年見てきた結果、愛の不足を当人が感じていたということが結論です。
しかし、当人は、愛の不足ということを感じていませんので、理由が分かりません。
「愛の不足」という言葉は、成人した人間から見ると、何を子どもだましのようなことを言っているのだというように聞こえるかもしれません。
ここで言う愛は、単なる、人間の間で使われる「愛」ではありません。
自分の生を心から感謝して謳歌できる、そういう愛です。
例え両親と早くに別れて育ったとしても、この愛は感じることができます。
自分の命の尊厳を、自分で感じること、認めることはできるのです。
それが、自分は、元々愛されていたということです。
この愛で満たされると、病は消えていきます。
心の病を患っていなかったとしても、心が満たされてくると、自分の存在価値を今以上の確かさで認めることができるようになりますから、結果が違ってきます。
5.心の槍を消すということ
人間の心というのは、出来事や物事がうまくいかないと、相手を責めるのか、それともできない自分を責めるかのどちらかになります。
それは、心の槍をどちらに向けるのかということです。あいつがダメだ、世のなかがダメだと相手を刺すか、それとも自分を刺すのかの違いです。
成績優秀な人、生真面目な人ほど、うつになると言われています。
おそらく、頭が回りすぎているのでしょう。
それだけ自分を責める気持ちのある人は、自分の周りに起こる事象を「あの出来事は自分のせいだ、この出来事も自分のせいだ」と、どんどん自分に槍を向け、追い込んでいる可能性があります。
人に気を使う人は思いやりのある人と周囲から見られるでしょう。
しかし、自分の作ったルールで人も自分も縛っている可能性もあります。
「こういうことを人にしてはいけない」「言ってはいけない」と言うのは、それは本人の決めたルールではないでしょうか。
そのようなルールを、自分で守るのに疲れて病んでしまう場合もあります。
引きこもりの子は優しい子が多いのです。
なぜなら、責めの槍を自分に向けているからです。
自分の部屋から出ると、父、母に槍を向けることになり、今度は自分が罪の意識を持ってしまいます。
自分を責めると苦しいし、表に出ると今度は表にいる人たちを責めることになる。
それが表情に、態度に、エネルギーとして出て、苛めたり苛められたりになります。
ですから、苛めるのも苛められるのも同じなのです。
どれほど、優秀と言われる学校に行っても、会社に行っても、そのような状態になって、「どうせ自分なんか出ない方がいい」となり、引きこもりとなるのです。
自分が出ると、自分が傷つくか相手が傷つくかの、どちらかになるからです。
相手を刺すと、当然、人間関係のトラブルに発展していきます。
「自分はダメだ」と自分を刺すと、やがて話せなくなり、行動できなくなりますから、それがうつや引きこもりになっていくわけです。
YS心の再生医療でうつ病が治るのは、自分を責める槍、相手を責める槍、それをどちらに向けるかという話では当然ありません。
その槍の向け方ではありません。
また、一時的に矛先を収める話でもありません。
槍そのものを、全部消してしまうのです。
責めていた槍を、全て、愛に変えていくということです。
愛を相手に向けたら、相手が元気になって喜びます。
自分に向けたら、自分が元気になります。完璧な愛という究極で、誰もが元気になっていくのです。
病気にかかった時、人間は落ち込んだり卑下したり、ネガティブになっています。
しかし、実は、それが幸いなのです。
なぜならば、ネガティブであればあるほど、暗ければ暗いほど、明かりを欲しがるからです。明かりを求めるその気持ちをフックとして、明りを持たせるのです。
ネガティブにもエネルギーがあります。
それと同じ量のエネルギーを、今度は反対の方向へ向けることができるのです。