真我メソッド(真我療法)体験談

引きこもりと体調不良が同時解決! 仕事も結婚も順風満帆に(海岡尚也さん[仮名] 41歳 男性)

大好きだった父が最低の男に

子どもの頃、私は父のことが大好きでした。父は小売店を経営していて、最盛期にはフランチャイズを含め、全国に30店舗近くチェーン展開していました。私はいつか父のような経営者になって、父の会社を継ぎたいと思っていました。

小学校の時、父と母が離婚をしました。でも、なぜか両親とも一緒の家に暮らしていました。私が高校を卒業する時に、なぜか父親だけが出て行きました。要するに、父の家に離婚した奥さんと子どもだけ残していったのです。それでも、父に対する憧れは変わりませんでした。

私は高校を卒業してすぐ、洋服関係の問屋さんに勤めました。その問屋は紳士服や婦人服はもちろん、子供服、作業服など、何でも扱っている結構大きなところでした。まずは3年間営業で勤めて、会社を辞めて父の会社に就職しました。父親のように、経営者になりたいと思っていたからです。

父の会社での仕事は、小間使いから始まりました。がんばるんだ、経営者になるんだという思いで働いていた私は、元気そのものでした。半年後には1つの店を任されるようになり、その後は4年間、店長として正月以外は休まずずっと働き続けました。

しかし、私はこの4年の間に、父の見たくない部分もいろいろ見てしまっていました。特に酷かったのは、ある商品の販売方法にすごく問題があって、何人もの社員が警察の取り調べを受けたことです。さらには税務署の査察が入って追徴課税されたのを見た私は、裏でそんなことをしていたのかと思い、父に対して最悪の経営者だという烙印を押しました。

仕事の面以外でも、父のことが許せなくなった出来事がありました。実は父の会社に入社したときに、再婚した女性がいることを知らされたんです。中国の女性で、しかもお腹が大きくなっていました。

「あの人は何なの?」と聞いたら、「いや、実は中国で結婚式をしてきた」と、写真を見せられたのです。本当にショックでした。どうして母と離婚したのか、そのいきさつも聞かされていませんでしたし、結婚するにしてもなんで私にひと言、前もって言ってくれなかったのか。しかも子どもまでできていて、経営者の前に、父親として、人間として、もう最低の男だと思ったのです。こういったことで父を恨むようになって、二度と顔も見たくないくらいになりました。

体に現れた予兆から転落へ

でも、面と向かって父とけんかしたわけではありません。父には何か変わった様子はありませんでした。言葉遣いも悪くないし、嫌がらせをされたわけではないのですが、私はいつの間にか父を殺してやりたいくらい憎み、嫌うようになっていました。

そんな思いを何年か続けていたら、だんだん体調がおかしくなり、38度以上の熱が出るようになってきたのです。朝起きたときは36度5分くらいなんですけど、仕事に出て午後になるともう38度5分になっていました。気分も優れませんし、いつもお腹のあたりがぼわっと熱い感じがしていました。次の日、朝起きるとちゃんと熱は下がっていて、午後になるとまた熱が出るのを毎日繰り返していました。

医者にも行きましたが、何ともないと診断されました。結構大きな総合病院で、血液検査までしたんですが、熱の原因は分からなかったのです。私は実際に熱があったのですから、何ともないと言われても到底納得できませんでした。薬も処方されませんでしたし、本当に大丈夫なのかなと思うと、さらに不安が出てきました。

同じ頃、どういうわけか少し会社の売上げが落ちてきていました。その対策として、勤務シフトに早番と遅番をつくり、アルバイトさんのお給料を少しカットするということをやったのです。そうしたらアルバイトさんたちが「私たち稼げないじゃないか」と言って、社長である父に不信感を持つようになりました。

社長の息子である私は、たくさん給料をもらっていると思われたんでしょう。社長の息子だから優遇されているとか、いろんな噂が飛ぶようになりました。本当は一番安かったのですが。

さらに私がセクハラしているという噂も流れて、父から呼び出されました。「ある女性がセクハラされたと言っているんだけど、お前したのか?」と。結局、その後何もなかったことがはっきりし、私への疑いは晴れました。しかし、私はこの件で人間不信になってしまったのです。

その日の帰りの電車では顔を全く上げられず、恐怖感が1ヵ月くらい続きました。そういったことが重なって、何で私がこんな思いをしなくてはいけないんだと考えるようになりました。下がらなくなった熱が3ヵ月続いた頃、私は父の会社を退職しました。

また洋服関係の仕事に戻ろうと思って、今度は婦人服メーカーに営業として就職しました。2~3才年上の先輩社員が私の教育係だったのですが、その人の教え方というか言い方がきつくて、注意されると精神的にだめになってしまう感じがしました。この時、私の心は既に病んでいたのかも知れません。

ある日、先輩に同行して大手百貨店の本社へ行ったとき、私は横で商談を聞いていました。商談が終わった後、「お前、あの時なんでこう言わねぇんだよ」とか、客先から離れて寒いからコートを着ようとしたら「コート着るんじゃねぇよ」とか、機嫌の悪い先輩にいつも怒られている感じがしました。

今から思えば、自分がそれを引き出していたのだと思いますが、当時は分かりませんでした。この状態で何時まで働かなくてはいけないのかな? とか、そういった不安が先に出てきましたし、息切れしているような感じになりました。このままだと死ぬような気がして、これはもう無理だ、続かないと思い、2ヵ月でその会社を退職することにしました。

すると辞めたその瞬間から、私は引きこもりになってしまったのです。辞めた時、引きこもりになってしまうんじゃないかという予感が、ちょっとだけありました。相変わらず熱も出ていましたし、なんとなく自分がおかしいと思っていたからです。

でも反対に、会社を辞めれば治るだろうと思ってもいたのですが、治りませんでした。そこからもう、就職するのがおっかなくて、働きに出られなくなりました。熱も続いていて、さすがに38度まではいかなくなりましたが、それでも37度5分は出ていたので自分にとっては高かったですね。

熱があると、何か気分がこう、はぁーっと優れない気分がしますよね? あの感覚がずっと続いていて、母からは気にしすぎだから、もう熱を計るなって言われました。しかし私には、気にしすぎているとは思えませんでした。

引きこもって2年近く経ったとき、今度は体がガタガタと震えるようになりました。起
きてテレビを見ていて、地震がきたのかと思ったら、揺れているのは自分だったんです。

「俺、やばいな、震えてるわ」と思いました。熱も下がらないし、体が震えているし、就職の面接に行くのは恐い。もうどうしようもなくて、死にたい気分になりました。でも死ぬことを考えたら、もっと恐いんです。

「死ねないなぁ、でも治す方法も無いし。人生の落伍者だなぁ。どうしよう、参ったな。何でこんなことになっちゃったんだろう? おじいちゃん、何て言うかな?」と、湿ったふとんのなかでいつも考えていました。

面接の何が恐いかというと、2年間の空白期間です。それまで仕事をしていないわけですよね?「2年間どうしてたの?」と突っ込まれたらどうしようとか、「なんで辞めたの?」と聞かれて、「いやぁ、嫌で辞めました」なんて言ったら、「そんな奴雇えるか」って言われそうだなとか、全部マイナスのことを考えてしまうんです。

今思えば一人相撲かも知れませんが、履歴書に嘘を書くわけにもいきませんから、引きこもっていた期間が気になって、恐くて履歴書が書けないんです。その頃、もしかするとこれは心の病か何かなのかなって、ちょっと思っていました。多分、何かがおかしいんだろうなって。 

でも、それを認めてはいませんでした。医者に行って、例えばうつだとか言われるのはいやじゃないですか。病院で熱があるって言ったのに、何も取り合ってもらえなかったという体験があったので、病院に対する不信感もありました。それに、もし精神科に行ってああでもない、こうでもないと言われたら、またこう追いつめられそうで、医者に行くのが恐いというのもありました。

ダメだと思っていた自分は誤解だった

真我「心の再生」医療を知ったのは、母が仕事先で知り合った、ある女性を通じてのことでした。母親はある電気屋さんで働いていたのですが、業者として出入りしていたその方と親しくなって、引きこもっていた私のことを相談したらしいのです。

その方が「あら、じゃあ私電話していい?」という展開になって、母もお願いしますということで、家に電話がしょっちゅう掛かってくるようになりました。そのことは母から聞いていましたから、私も嫌々ながら電話に出たのです。すると、「こんにちはー!」なんて明るい声で話されるので、そういったエネルギーを受け付けなくなっていた私は、「はぁ~」っとため息が出てしまいました。

その方に連れられて行ったのが、真我「心の再生」医療のカウンセラーのところでした。カウンセラーの方は父親と同年代の男性で、正直恐いな~と感じました。怒られたらいけないから、私は腕を組んで構えていたのです。なるべく自分からは話さず、逆に何を聞かれても適当に頷いて返していました。

「海岡くん、何しているの?」と聞かれても、「いま、経営の勉強をしています」って嘘まで言って。その後、真我「心の再生」医療の説明を聞いたんですが、カウンセラーは私とマンツーマンで、何をするかを教えてくれました。もしかすると元気になれるかも知れないと思った私は、正直に自分の状況を打ち明けました。翌日に真我「心の再生」医療を受診することにして、その日は説明を聞いて家に帰ったのです。

自分の部屋で改めて考えていると、真我「心の再生」医療に対する疑いの気持ちが芽生えてきました。疑いすぎて、眠れなくなったくらい疑いました。翌朝、建物の目の前まで行ったのですが、疑いの気持ちは晴れず、手前の信号のところで引き返しました。「行っちゃだめだ、行ったら俺、死ぬわ。戻ろう」と思ったのです。歩きはじめてしばらくたったときのことです。ふと、これまで送ってきた引きこもり生活の記憶が浮かびあがってきました。

「戻ったとして、あの湿った布団にまた潜るのか? あと何年、あそこに潜っていればいいんだろう」
それは嫌だ、と思いました。でも、真我「心の再生」医療を疑っていたし、どうしていいか分かりませんでした。

その時、気がつきました。自分はまだ死を恐れていたんです。
「俺はまだ死ぬのが恐いのか。考えてみたら、行ってみて偽物だったら、殺してもらえるじゃないか。楽になれる。もし本物だったら、全力でやったら、元気になれるかもしれない。本物か偽物かなんて、自分でやらなきゃ分からない。もし全力でやって本物だったら絶対に復活できるし、やった分だけ元気になれるだろう。もし偽物だったら、全力でやった分だけ絶対に楽に死ねる」

よし、行くぞ、自分の人生を清算するぞ、と覚悟を決めました。ドアを開けると、昨日話をしてくれたカウンセラーが出て来ました。
「これまでの自分は全部はずして、ゼロで臨んでください、生まれ変わるんです」と仰るそのカウンセラーは、昨日とは打って変わってとても真剣な表情をしていました。

真我「心の再生」医療では、自分の心の状態をたくさん紙に書くのですが、書き進めていたら手と全身がしびれてきました。体を叩いてしびれを止めようとしたのですが、その時の私はまだ疑いの気持ちがありましたので、衝立の向こうに何か機械でも仕込んでいるんじゃないかと思いました。しばらくして休憩をとった時、衝立の奥を覗いたのですが、そこには何もありませんでした。

「あれ? するとあのしびれは何だったんだろう? もしかして、私の真我とやらが出て
こようとしているんじゃないか?」
それをきっかけに、私は疑いの気持ちをはずし、全力でやってみようと決めたのです。

その後、自分で紙に書いたことをカウンセラーの前で読み上げていたときのことです。立って読んでいたのですが、大きく心が揺さぶられて嗚咽してしまって。そのままパターンと後ろへ倒れてしまいました。

ちょうどスタッフの方が椅子を持って来てくれたので無事だったのですが、そのまましばらくは感激でうわーっとなった感じで、これは本物だ、とその時思い始めました。それからも、どんどん書いてはカウンセリングしていただくことを繰り返したのですが、生きてていいんだ、素晴らしいんだという思いが次々に涌き上がっていくんです。これには感激しました。

自分で自分のことをだめだと思っていたのですが、それは自分の誤解だったということも分かりました。何にも差別がない、自分とみんなは同じで、ひとつという世界なんだ、愛なんだ、自分は素晴らしいんだということに気がついたのです。

なぜ自分が引きこもりになったのか、そして体調が悪かったのか、その理由もはっきり分かりました。間違いなく父親を恨んでいたことが原因でした。あいつは鬼畜じゃねぇか、と思ってはいましたが、父をそこまで恨んでいたことにすら気がついていなかったのです。

父への恨みは、全部自分がそういう風に思い込んでいたんだと分かりました。私は元々父から認められていたし、私も本当は父を認めていたんだと気づかされました。そして同時に、もう大丈夫だ、引きこもりをやめることができるぞという確信が生まれたんです。これが本当に嬉しくて、私は安堵感でいっぱいになりました。

確かにこれまで、母親から「感謝なのよ」などと言われたことはありましたが、あまり実感がありませんでした。でも、本当に感謝の世界があるんだっていうのを自分で体感したときに「生きてていいんだ、俺は生きてていいんだ」と、心の底から理解できました。

「感謝なのよ」は確かに合っているんですが、それは自分の内側から出てこなくてはいけないものだと、全部の線が繋がるように、瞬間的に分かったのです。数時間前、あの信号のところで引き返そうとした時は、恐怖感で一杯でした。不思議ですよね、人間の思考回路っていうのは。あそこに行けば死ぬと思い込んでいたわけですから。それから比べると、まさに地獄から天国に変わったような感じでした。

人生のベクトルがグングン上向きに

それから1週間ほど経ったとき、私はまずは毎月1万円を稼ぐという目標を立てていました。いくら引きこもりでも、1万円くらいは稼げると思うようになったのです。早速アルバイト探しを始めて面接を受け始めたところ、なんと2社目ですぐ受かってしまいました。

あれほど恐かった職歴の空白期間は、2年でストップしたのです。もう、熱なんか出なくなりましたし、毎日のように体温計で熱を計ることも、体の震えも無くなりました。その後、私はいろいろなアルバイト経験を経て、一般企業に就職しました。最初は力仕事を担当していましたが、そのうち上司からITの担当をしてくれないかと言われました。

私はITが超苦手で断ったのですが、上司から「世の中のIT担当者は、最初はみんな素人です」と言われました。たぶん上司は、一旦受け入れてごらんと言いたかったのでしょう。私も、できるかどうか本当のところは分からないと思うようになり、とりあえずやってみることにしました。

この会社の上司は、みんな優しかったです。ITは右も左も分からないので、これやっといてと言われても、最初はできませんと答えていました。すると上司は「じゃあどうしたらできるの?」と聞いてくるんです。そのやりとりで、上司はいきなりやれと言っているのではないと気がつきました。

自分ならここまでできるとか、業者に頼めばいくらでできるとか、そういうのを形として示すのも、やり方のひとつだと分かったのです。何か課題をもらった時、例えば明後日に報告するという区切りを設けて、全力でやってみることにしました。その結果、できたらできたでいいし、できなかったとしてもどうすればいいか明確に答えるようにしたら、仕事が進むようになりました。

実は、この会社で職場結婚もしたんです。出会ってから結婚まで、とてもスムーズに話が進みました。妻は北陸生まれで、東京に出てきて働いていました。ところが、だんだん地元に帰ったほうがいいという思いが出てきたようでした。相談を受けた私は、一緒に妻の地元へ引っ越すことにしました。もちろん、二人とも仕事を辞めなくてはなりませんでしたが、妻のためを思えば仕方のないことでした。

引っ越しを終え、私は就職活動を始めたのですが、そうこうしているうちに辞めた会社の上司から連絡が入りました。それは仕事の依頼で、ホームページの更新に、メルマガや動画の編集などを請け負ってくれないかという、願ってもないような話でした。好きな会社でしたから、そういった形でかかわれるのが嬉しくて、今もこの仕事を続けています。

最近では、画像編集ソフトまで使えるようになりました。これは本当に大きいです。新しい仕事が来た時に、まずはどうしたらできるかを考え、時間ぎりぎりまでやってみるというのを繰り返して、いろいろなスキルが身に付きました。未だに過去の癖が抜けず、新しい仕事を頼まれたら「無理だ」という思いが出てくることもあります。

でも本当はそうじゃなくて、人の力から何から、そういうものを含めてやれば、大抵のことは大丈夫なんです。今の仕事のスタイルは、自宅で集中できるので、自分に合っていると思います。父の会社で働いていた頃はすごくがんばっていましたが、当時と比べるとエネルギーは10分の1も使っていません。もう、何だか見えない力に乗っちゃっているだけという感じなのですが、幸せ感とか調子の良さは50倍、100倍にも感じます。今は、ガツガツ仕事をやりたいとは思わなくなりました。

父とは、引っ越してからしばらく会っていなかったのですが、離れてみたら何故かすごく会いたくなりました。それで電話して、父が好きな鱒寿司や蟹を送ってみました。それまでそんなもの送ったことがなかったですし、送ってどう思われるか気になりましたが、とにかく父親に喜んでもらいたかったのです。

そんなに高いものではありませんが、こちらでしか買えないものを送っているうちに、父との関係が良くなってきました。物理的に離れることによって、逆に父と繋がれたというか、それが自分にとってとても大きな変化でした。引っ越したのも、最初は妻のためだと思っていました。しかし、もしかすると父との関係が良くなるように、妻が協力してくれていたのかも……と思うようになりました。

15年かかって、やっと父に「あの時ごめんね。お父さんのこと、本当に感謝しているんだよ」と言うことができました。
「お父さんがいなかったら、今の自分はいないんだ。でもそんな簡単なことが分からなかったから、俺は具合が悪くなって、あんなになっちゃったんだよ。お父さん、本当にありがとうね」って。

父は「いゃあ尚也、そんなことないよ」と言ってくれて、ちゃんと父と会話ができたことが本当に嬉しかったです。

私が家でITの仕事をしているということが分かって、父から週に何回も、パソコンの操作のことで電話が来るようになりました。それだけでも信じられないことですが、父が「悪いな尚也、また同じこと聞くかも知れないけど」と言った次の瞬間、自分から出た言葉はさらに信じられないものでした。

「何言ってんだよお父さん。そのお蔭で、お父さんと話せるから嬉しいんだけどね」と言っていたんです。すると父は「そうか?」って、照れくさそうに笑っていました。

こんなことが自分の身に起こるとは、本当に思っていませんでした。今はこうやって生きていて、ご飯を食べて、家族仲が良くってすごく幸せです。そう言えば、異母妹は20才になりました。もちろん、わだかまりなど全くありませんし、今、スマホでチャットするほどの仲良しなんです。こんな風に楽な人生があるとは、思ってもいませんでした。

薬のみに頼らない最新のうつ病治療
東京日本橋の心療内科 YSこころのクリニック