【家庭崩壊から大逆転】体験談

家庭内不和、両親の死を乗り越え人生の目的を見つけた

福島県・50代・男性

 福島県郡山で介護施設を経営しているんですけれども、家は札幌にあります。
一昨年まで土木の営業と設計をやっていました。
サンタ営業ではいろいろ学ばせてもらいましたけど、泥棒営業ってことを
やってました。営業らしい営業をせずにですね、とにかく話し合いで仕事を
取って来るってことをやってたんです。

しかし、そういう時代ではもうなくなりまして本当に営業やらなければならない
と思いまして、いろんなセミナー受けたり成功哲学をやったりしたんですが
なかなか身に付かなかったんです。

それで、YSコンサルタントに縁があって東京に来て学ぶようになりました。
営業のセミナーに行ったんですけど、その時のYSコンサルタントでは、
両親のことを解決しなければ仕事はダメなんだと言われたんです。

僕はそんなことは分かっていたんです。
でも仕事と家庭一緒にしちゃダメなんだと、別々に考えてしっかり成果を
出さなきゃダメなんだと思っていたんで、ちょっと理解できなかったんです。

しかし宇田先生に勧められて真我開発講座というところに行ったんです。
サンタ営業学びながら。
実は、今だから話せるんですがその頃仕事もめちゃくちゃになっていたんですが、
家庭も崩壊寸前だったんです。いわゆる家庭内別居でした。

父が10年程前に亡くなって、亡くなる前に母さんを頼むよって言って父は
亡くなって行ったんです。
僕は、北海道の北のほうの田舎に帰って札幌に母さんを呼んで、残りの人生を
しっかり面倒見ようとやったんですが、そうこうするうちに母さんは末期癌だと
言われて、2ヶ月くらいであの世に行ってしまったんです。

僕は父の死の時に仕事ばっかりで仕事優先してもうだめだと分かっていたのに
父の死に目にも会えなかったんです。
僕はその後悔の年があったもんですから、全力で母さんの最後まで介護をして
看取ろうと思ったんです。

その時は、会社に休みをもらって一ケ月間病院に寝泊りして、そこから仕事に
行くようにして母さんの最後を見送ろうとして、一生懸命自分なりにやったんです。

ある日、どうしても仕事が詰まってしまって、もうどうしても仕事を
片づけなければならない日だったんです。
・・・
その日に限って母さんは痛がって痛がって手も握れないんです。
僕は母さんの手をじっと握ってました。
何時間も。

でも暴れて暴れて、病院からは体を縛りますかって言われても、縛らないでくれと
言って、体押えながら手をずっと握ってたんです。
先生に薬飲ましてくれと言って、注射打ってもらって母さんは最後落ち着きました。

僕はその時にどうしてもやらなきゃならない仕事があったんでベッドを離れたんです。
それでパソコンで仕事をしてました。でもついつい疲れてしまってその日
寝てしまったんです。

朝方起きまして、はっと思って部屋に駆けつけて部屋に行ったんです。
そしたら母さんは寝てました。ああ良かったなあと思いました。
ここで死なれちゃ困ると思って。

でも母さんの顔を見てるとどうも体が動かないんです。
なんぼ話しかけても動かないんです。返事してくれないんです。
僕は、看護師さん呼んで見てもらいました。
看護師さん首を横に振るんです。

もう起きないね。
僕は冗談じゃない、先生呼んでくれ、何とかもう一回意識だけでも回復させて
くれないかって。
僕は父さんの時だってダメだったんです。
父さんにありがとうって言えなかったんです。
何とか母さんに言わなきゃなんないんです。
まだ言ってないんです。
なんとかお願いしますって頼んだんです。

先生が来るまで僕は母さんの顔をずっと見てました。
母さんは天井を見てずっと上を見てました。
良く見たら気づいたんです。
目のまなこに涙が溜まってたんです。
僕は分かりました。

前の日にホントに死にたくないって、僕の腕を握って暴れてました。
僕はその手を離してしまって、また仕事の事を考えてしまった。
母さんがおそらく夜中に目が覚めた時に、本当に死を怖がらなかったんです、
あの時。

自分の息子があの部屋からいなくなった時に、本当に怖かったと思うんです。
最後死んでく時に、自分一人かと思ってきっと母さん僕を恨んだんじゃないか、
きっと涙を流したんじゃないか、人口呼吸器で声も出せませんでしたから。

僕は、またやってしまった。あれだけ父さんに言われたのに母さんにも
同じ事をしてしまった。
僕はもう地獄でした。それからの人生は、看病してくれなかった嫁さんを恨み
何もできなかった自分を本当に呪い、仕事も本当にダメでした。
家庭もダメでした。子供たちも家に帰って来ても自分の部屋に入って、
茶の間には誰もいない人生でした。

僕は自分の目の前で起きている事が許せなかったんです。
そしてサンタ営業もやって、YSコンサルタントから真我開発講座にも行きました。
そして心の仕組みを滔々と言われて、良く分からなかったんですけど
とにかくやってみたんです。
そして、トントントントンと行って一番最後に本当に湧いて出る自分が出たんです

口ではどうやっても説明できないんです。その時に気づいたものがありました。
ああ、あの時母さんがまだ元気だった時に、嫁さんにいつも仲良くしろよ
仲良くしろよと言っていた母さんのことを冷たくしていた。
嫁さんのことを大事にしろ、大事にしろと母さんが言っていた。

全部自分が原因だったということがその時分かったんです。
僕が妻を大事にしないから、嫁さんがその裏返しに僕の母さんの方に行ってたんだ。全部自分がやってたんだと分かったんです。
今起きている事は全部自分の仕業だったんだと分かったんです。

僕は講座終わってすぐ札幌に帰って嫁さんに詫びました。
自分がこれからやるべき事は、亡くなった父さん母さんが死んでも絶対恩返しは
できる。

なぜなら、今日ここに来ている僕のお父さんお母さんにやればいいんだと
思ったんです。ご高齢者の方が、自分のお父さんお母さんだと思って。
そして介護をやろうと思ったんです。

あの震災がありました。僕は仕事の関係で何度も何度も行きました。
東海岸に通いました。

札幌で介護をやるべきなのか、おまえは本当に一体どこへ行ってやるんだ。
一年間ぐらい考えて考えて、最後に分かったんです。
福島だ。福島へ行くんだ。今、日本で一番大変なところで頑張っている
父さん、母さんの所へ行って介護するんだ。

本当に強くそう思ったんです。そして昨年仕事を辞めて福島に行きました。
僕は介護をやった事はないんです。まったく分からなかったんです。

そして上手くいかない、毎日毎日誰も会ってくれない。
心で思ったんです。いつもいつも心の中で呟きました。
父さんありがとうございます、かあさんありがとうございます。
父さんのお陰で福島に来る事ができました。
母さんのお陰で高齢者の方にサポートする事ができました。

父さん、母さんが死んだお陰で僕はやっと気づいたんです。
僕は頭が悪かった、あの時なにもしなかった、本当に申し訳なかったごめんなさい。今やります。いま、今日ここからやります。どうか応援して下さい。って。

この間嫁さんからメールが来ました。
月に一回帰るとの約束だったんですが、一度も帰ってなかったんです。
そしたらメールで、父の日なので娘と二人で好みが割れたので
2本ベルトを送りました。好きな方を使ってね。

そして、父さん覚えているかい。仕事バカだから分かんないでしょ。
銀婚式だよ。プラチナ買ってね、って。最後は随分お高かったです。
来月は何とか帰れそうです。

全部真我に出会ったお陰だと思ってます。
ありがとうございました。

 

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